驚異的なスパートで5位入賞を果たした石田選手(写真:岩瀬孝文)
クロスカントリーの歴史は長い。日本が最初に世界へ飛び出したのが1928年、スイスのサンモリッツで行われた第2回冬季オリンピック。この最初の大会にクロスカントリーは矢沢武雄、竹節作太、永田実、高橋昴、麻生武治の5選手で挑んだ。それから82年もの長きにわたって世界と戦ってきたが、まだ表彰台には一度も立っていない。
オリンピックに女子選手がはじめて出場したのは、1972年に札幌でオリンピックが開催されることが決まり、女子選手の強化の一環から1968年、グルノーブル(FRA)大会に加藤富士子を送り込んだ。その女子が出場してからでも42年が経過している。
そしてこれまで、女子のディスタンス(中・長距離)での最高ランクは1994年、リレハンメル(NOR)大会で記録した15kmフリーにおける青木富美子の11位、男子では2002年、ソルトレークにおける50kmクラシカルで記録した今井博幸の6位入賞がある。
石田正子は、旭川大学高等学校、日本大学とクロスカントリーのエリートコースを歩むが当時は、横山寿美子、後藤鹿子、曽根田千鶴、古澤緑、大高友美、そして2年先輩の夏見円ら蒼々たるメンバーが揃っており、石田の陰は薄かった。
石田が注目されたのは、トリノオリンピックが開催された翌年の2007年。この年、石田はワールドカップ(ラハティ)の10kmクラシカルで10位に飛び込み、札幌で開催された世界選手権大会の30kmクラシカルで転倒して最下位に下がりながら周回を重ねるうちにぐんぐん追い込み、13位でフィニッシュして回りを驚かせた。ここから石田の進化ははじまった。
その後は、ステップバイステップで確実に世界への道を歩み、持ち前の負けん気の強さもあってクラシカルならトップシーンへの進出する自信も備わってきた。
そして迎えたバンクーバーオリンピック。チームは石田を30kmクラシカルに的を絞らせ、また石田も狙っていた。
作戦は、前半を抑え後半の追い上げに賭けるというものだった。それが、雪質が難しく、登りのグリップワックスの効きが悪いと見るやスキーを取り替えて戦列に戻って後半に備えた。これは大きな賭けでもあった。トップグループに食らいついていたのが、スキーの交換で30位くらいまで下がった。しかし、石田は「十分射程距離」と落ち着いて計算していたのだ。
残り400mの下りで石田の驚異的なスパートがはじまった。10kmフリーの金メダリスト、カーラ(SWE)ら2人を抜いて5位でフィニッシュした。これまで今井の6位を越え、クロスカントリーの歴史を塗り替えた瞬間だった。
1980年11月5日生まれで今年30歳。しかし、遅れてきたシンデレラのほんとうの進化はこれからだ。
北海道美幌町出身、JR北海道スキー部所属。
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