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クロカンスキー野上幸寿さん
たゆまぬ努力をした君を忘れない 競技人生の出発点吉田でお別れの会

野上さんの遺影の前で遺族を代表して挨拶する父親の誠さん

野上さんの遺影の前で遺族を代表して挨拶する父親の誠さん

クロスカントリースキーで冬季五輪を目指していたものの、先月5日、クモ膜下出血のため27歳の若さで急逝した野上幸寿さん(市内高島出身・JR北海道)のお別れの会が8日、吉田ふれあいスポーツセンターで開催された。

お別れ会は尾身孝昭県議を実行委員長として営まれたもので、当日は蔵品泰治市教育長、佐藤志郎全日本スキー連盟クロスカントリー部長、涌井充市議会議長、西方勝一郎市体育協会長をはじめ市スキー協会、友人、同級生など多くの人達が参列し、野上さんとの別れを惜しんだ。

野上さんは鐙島小、吉田中、十日町高、早稲田大、JR北海道でクロカン選手として活躍。高校時代にはインターハイで優勝、大学時代には世界ジュニア、ユニバーシアードに出場。社会人となってからも第一線の選手として活躍し、ロシアのソチで2012年に開催される冬季五輪への出場が期待されていた。

祭壇は野上さん愛用のスキーと雪に見立てたゆりの花で覆われ、会場内には活躍を伝える数々のトロフィーと日常生活の1コマを捉えた写真が飾られ、来場者の涙を誘っていた。

尾身実行委員長は「これから世界に羽ばたこうとする時に急逝され、地元をはじめ全国のスキー関係者の落胆は計り知れません。野上さんのことは生涯忘れません」と開式の辞を述べた。

黙祷の後、蔵品市教育長は市民を代表して「野上さんは郷土の誇りであり、日本を代表する選手。まさかこのような弔辞を読むことになろうとは、全く予期せぬことでした。昨年の吉田競技場で行われた冬季国体では北海道の所属選手として、リレーのアンカーを務め、地元新潟とデットヒートを繰り広げ敗れはしたものの、故郷に錦を飾る晴れ舞台となりました。スキー王国十日町のためにたゆまぬ努力をされた野上さんのことは忘れません」と述べた。

野上さんの吉田中時代の恩師である大平弥生さん(現水沢小)は「昨年の新潟国体のデットヒート後はお腹の大きくなった奥さんと共に駆け寄って来てくれて『俺もいよいよ父親になります。それにしても先生も皺が増えたなあ』と言い、それが最後の会話となってしまいました。最高の教え子であるあなたともっと話がしたかった。スキーを通して大切なことを伝えてほしかった。これからも天国で奥さんと子供を見守ってください」と別れの言葉を述べた。

佐藤部長をはじめ、十高・早大の先輩である桑原和幸さん、鐙島小・吉田中の同級生の水落貴洋さんらが、それぞれお別れの言葉を述べ、早大スキー部の部員が早大の校歌を斉唱した。

これを受けて父親の誠さんが「あと2日で28歳となる日に亡くなりました。自分の好きなこと、そしてやりたいことをやった人生だと思います。幸寿は『五輪に行きたい。地元に帰って恩返しをしたい。そして1歳の娘ひなたに走っている姿を見せたい』と言っておりました。時間が足りず、残念でなりません。言いたいことはたくさんありますが、これまで幸寿の応援本当にありがとうございました」と挨拶した。

十高時代の同級生である妻の奈津子さんも「幸寿君は私と娘を遠くから見守ってくれていると思います。皆さん方にも幸寿君が残してくれた思い出があると思います。これまで応援していただき、ありがとうございました。大変お世話になりました」と御礼を述べた。

この後、参列者全員による献花が行われ、野上さんとの最後の別れを惜しんでいた。

記者手帳(コラム)

野上君の思いはこれからも

〇…先月5日に27歳の若さで急逝した野上幸寿選手に初めて会ったのは、平成10年1月の県中学スキーのリレーだった。輝かしい伝統を誇る吉田中は3位に終わり、選手にとっては不本意な成績だったと思う。4人のメンバーは少し気落ちしていたが「新聞社さんが写真撮りたいって言うから、撮ってもらおうよ」。そう仲間に声を掛けたのが野上君だった。他のメンバーより頭ひとつぶんだけ身長があり、「ずいぶん背の高い子だな」というのが第一印象だった。

〇…十高では生徒会長を務める傍ら、3年時にインターハイ15フリーで優勝。その際、全国紙が新潟版で別の選手の写真を誤って大きく掲載したことがある。帰郷後に学校で行われた共同取材では恐縮する全国紙の記者を前に「気にしないで下さい」と笑顔を見せていた姿も懐かしい。

〇…一般入試で進学した早大でも世界ジュニア選手権やユニバーシアードに出場するなど学生界をリードする選手として活躍。それにも関わらず、卒業後は受け入れてくれる企業が見つからず、五輪の夢を断念せざるを得ない状況に追い込まれた。それでもあきらめず地元に戻って午前中は練習、午後は母校十高スキー部の指導にあたり、さらに夜は得意の数学を中心に家庭教師に励んだ。その後JR北海道に就職。チームメイトで冬季五輪で入賞、そして美人アスリートとして知られる夏見円選手が十日町市で講演を行った際には、彼女の隣で思わず微笑を浮かべ「夏見円のカバン持ちってか」とからかわれていたことも、誰からも親しまれ愛された彼の人柄を物語っている。

〇…就職浪人中は自宅にお邪魔して、家庭教師をしながら五輪を目指すといった趣旨で取材したことがある。早大ではスキー一辺倒だったわけでもなく「大学の構内で路上ライブのようなことをして、学生生活を満喫していましたよ」と話してくれた。不安な境遇のはずなのに「僕はプレッシャーをモチベーションに変えるんです。『あいつ、まだスキーやってんだ』なんて思われると、ガッカリですね」と笑わせてくれた。家庭教師を申し込む場合には携帯番号に連絡してほしいとし、自分が「五輪に出場が決まったら、コメントがすぐに欲しいので登録させてもらっていいかな」と尋ねたら、「もちろんです。ぜひ、そんな選手になれるよう頑張りたい」と応えてくれた。携帯には今も彼の番号が登録されたままである。

〇…インタビューを行ったのは平成17年の春で、前年秋に発生した中越地震の傷跡が大きく残ったままだった。野上君は最後に「未だに仮設住宅での生活を余儀なくされるなど、不自由な生活を強いられている市民の方も多い。僕の活躍で明るいニュースを届け、市民の皆さんが希望を持ってくれるようになれば。そんな選手になりたい」と言葉を結んだ。そんな君の思いは後に続く選手によってきっと受け継がれるでしょう。さようなら野上君……。(洋)

【十日町新聞8月10日号掲載】

[2010/8/10:クロスカントリー]
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