連載30 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1979年(昭和54年)
第57回全日本スキー選手権大会
会場:アルペン 北海道ニセコ町・ニセコアンヌプリ国際スキー場(滑降)
長野県白馬村・八方尾根スキー場(回転・大回転)
会場:ノルディック 北海道札幌市・大倉山ジャンプ競技場/宮の森ジャンプ競技場/西岡距離競技場
■アルペン
順 | 滑降 | 回転 | 大回転 |
---|---|---|---|
■男子 | |||
1 | 片桐 幹雄(北野建設) 1:33.54 |
上山 利治(西沢スキー) 58.01/51.42 1:39.43 |
沢田 敦(デサント) 1:25.01/1:24.94 2:49.95 |
2 | 成田 正人(近大) 1:37.52 |
秋元 裕義(電々北海道 )57.68/51.78 1:39.46 |
海和 俊宏(三井物産) 1:25.65/1:24.95 2:50.40 |
3 | 佐藤 利之(中大) 1:37.69 |
山本 郁夫(日本楽器) 57.55/52.38 1:39.93 |
山本 郁夫(日本楽器) 1:25.21/1:26.33 2:51.54 |
■女子 | |||
1 | 佐藤 祐子(トーモク) 1:39.10 |
小島 景子(専大) 39.94/38.20 1:18.14 |
大道 和子(デサント) 1:40.72/1:41.72 3:22.70 |
2 | 小島 景子(日本楽器) 1:41.21 |
富井日出子(日本体育大) 41.13/39.94 1:20.48 |
小島 景子(日本楽器) 1:41.72/1:43.39 3:25.11 |
3 | 内川 芳美(日体大) 1:41.50 |
武田 彰代(日本体育大) 41.45/39.28 1:20.73 |
佐藤 祐子(トーモク) 1:44.33/1:45.69 3:30.02 |
スラロームで2位となった海和俊宏は、前年の1978年、オーストリアのオーベルシュタウヘンで行われたワールドカップで、日本選手として最高の5位に入っている。ラップとの差は実に1.89という素晴らしい内容で、地元オーストリアの新聞も「東洋から来た小さなスラローマー」を写真入りで紹介した。
■ノルディックコンバインド
選手名 | 所属 | 飛躍点 | 距離点 | 得点 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 中越 靖也 | 専大 | 189.8 | 217.795 | 407.595 |
2 | 古川 牧雄 | 明大 | 207.0 | 194.335 | 401.335 |
3 | 三橋 勉 | 雪印乳業 | 198.2 | 193.705 | 391.905 |
■少年 | |||||
1 | 伊藤 勝蔵 | 五農高 | 193.5 | 185.65 | 379.15 |
2 | 福島 清志 | 中京大 | 164.1 | 179.44 | 343.54 |
3 | 三浦 剛喜 | 盛岡農高 | 131.1 | 202.045 | 333.145 |
優勝した中越靖也は、選手引退後、コンバインドコ-チを経て現在、ジャンプのロービンド(ビンディング)、ラス(ブーツ)、アンダーウェアのクラフト、アルペンポールのSPMなどを扱うトレンズという会社で選手を陰からサポートしている。
■クロスカントリー
リレー | 15km | 30km | 50km | |
---|---|---|---|---|
■男子 | ||||
1 | 東京美装 2:23:26.0 |
早坂毅代司 (東京美装) 49:01.3 |
早坂毅代司 (東京美装) 1:40:01.3 |
早坂毅代司 (東京美装)2:45:15.3 |
2 | 日本大学 2:25:15.9 |
滝沢 芳明 (あるむ) 49:43.8 |
加藤 陽市 (カザマスキー) 1:43:34.3 |
沢田 和之 (北日本) 2:55:57.2 |
3 | カザマスキー 2:29:44.0 |
加藤 陽市 (カザマスキー)50:03.8 |
沢田 和之 (北日本) 1:43:50.9 |
滝沢 芳明 (あるむ) 2:56:02.4 |
■女子 | (5km) | (10km) | ||
1 | 日本大学 1:35:15.0 |
藤木 弘美 (北野建設)21:34.6 |
戸島 淳子 (日大) 38:51.6 |
|
2 | 湯沢北高 1:41:36.1 |
戸島 淳子 (日大) 21:50.2 |
藤木 弘美 (北野建設)39:06.1 |
|
3 | 大東文化大 1:46:07.2 |
石上 寿子 (日大)22:00.9 |
石上 寿子 (日大) 39:07.5 |
早坂毅代司が三冠を達成した。早坂は、コンバインドのクロスカントリーを強化するためコンバインドチームのコーチに招かれ、そして理事に就任してからコンバインド部長を務め、コーチ時代を含めて荻原健司、河野孝典、阿部雅司から高橋大斗、小林範仁らの若手に至るまで長年にわたって選手を育てた。
■ジャンプ
順位 | 90m | 70m | 少年 |
---|---|---|---|
1 | 秋元 正博(明大) 102.0m/102.0m 222.1 |
伊藤 高男(国土計画) 80.0m/84.0m 220.9 |
会沢 仁康(駒大岩見沢) 77.5m/78.5m 198.6 |
2 | 今 巧(専大) 100.0m/103.5m 218.9 |
丸登 康男(国鉄北海道) 81.5m/84.0m 216.8 |
伊藤 勝蔵(五農高) 74.5m/75.5m 184.5 |
3 | 清水 史郎(明大) 101.0m/104.0m 218.2 |
秋元 正博(明大) 80.0m/82.5m 213.5 |
長岡 勝(東海大四高) 73.0m/75.0m 177.3 |
秋元正博が全日本選手権初優勝。この優勝をきっかけに、日本を代表するジャンパーとして活躍する。
(文中の敬称略)