連載23 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1972年(昭和47年)
第50回全日本スキー選手権大会
会場 | :アルペン | 長野県白馬村・八方尾根スキー場 |
会場 | :ノルディック | 青森県大鰐町・大鰐ジャンプ台/宮様記念会場 |
札幌オリンピックを翌年に控え、各競技運営関係者、チーム関係者は本番を想定して取り組んだ。今大会から「少年組」が姿を消し、現在行われている「全日本スキー選手権」の形態になった。
■アルペン
順 | 滑降 | 回転 | 大回転 |
---|---|---|---|
■男子 | |||
1 | 富井 澄博(日大) 2:05.29 |
千葉 晴久(専大) 57.70/1:03.82 2:01.52 |
富井 澄博(日大) 2:21.53 |
2 | 大杖 正彦(デサント) 2:09.35 |
鈴木 謙二(芝工大) 59.27/1:04.69 2:03.96 |
市村 政美(日本楽器) 2:23.38 |
3 | 鈴木 謙二(芝工大) 2:09.89 |
水上 孝(カザマスキー) 57.98/1:05.99 2:03.97 |
鈴木 謙二芝工大) 2:23.46 |
■女子 | |||
1 | 南雲美津代(西沢スキー) 2:11.71 |
沖津はる江(大東文化大) 44.35/52.93 1:37.28 |
沖津はる江(大東文化大) 2:06.26 |
2 | 沖津はる江(大東文化大) 2:13.39 |
南雲美津代(西沢スキー) 45.43/52.33 1:37.76 |
南雲美津代(西沢スキー) 2:08.47 |
3 | 片桐 美雪(小賀坂スキー) 2:13.88 |
岡崎恵美子(アジアスキー) 46.15/52.42 1:38.57 |
深井 則子(アジアスキー) 2:14.48 |
オールラウンダー、鈴木謙二(芝工大)は、優勝こそできなかったが、3種目で表彰台に立った。オールラウンダーの時代から、スペシャリストの時代へ、時代の変わり目を迎えていた時期だけに価値ある内容。女子は沖津、南雲両選手が圧倒的な強さで2強を形成、まさに「沖津・南雲時代」を迎えていた。
■ノルディックコンバインド
選手名 | 所属 | 飛躍点 | 距離点 | 得点 | |
---|---|---|---|---|---|
1 | 花田 英一 | 大東文化大 | 179.3 | 207.25 | 386.55 |
2 | 須藤 正敏 | 国土計画 | 163.6 | 205.30 | 368.90 |
3 | 新田 誠一 | 明大 | 193.1 | 156.40 | 349.50 |
学連、花田と社会人の須藤との一騎打ちとなったが、ジャンプ、クロスカントリーとも須藤の追撃を許さなかった花田が初優勝を飾った。
裁定委員会
競技委員長・菊池正八 コース係長・山田九八 参加代表・佐藤和雄 技術顧問・盛合 力 SAJ技術代表・村本貞雄
以上が今で言うTDのメンバー。
■クロスカントリー
リレー | 15km | 30km | 50km | |
---|---|---|---|---|
■男子 | ||||
1 | 日大 2:46.11 |
高橋 勇 (日大) 51:41 |
松岡 昭義 (日軽金) 1:44.24 |
松岡 昭義 (日軽金) 3:00.19 |
2 | 日軽金 2:47.52 |
松岡 昭義 (日軽金) 52.28 |
後藤 一義 (カザマスキー)1:47.10 |
高橋 久男 (日大) 3:00.21 |
3 | 北方スキー 2:49.06 |
工藤 誠二 (国鉄北海道) 52.36 |
谷藤 秀夫 (日軽金) 1:47.46 |
長崎 一男 (カザマスキー) 3:05.25 |
■女子 | (5km) | (10km) | ||
1 | 三馬ゴム 1:15.53 |
高橋 弘子 (北野建設) 19.21 |
高橋 弘子 (北野建設) 40.25 |
|
2 | カザマスキー 1:17.32 |
大関 時子 (三馬ゴム) 19.39 |
菊池 篤子 (弘前実業高)42.57 |
|
3 | スワロースキー 1:18.08 |
高橋 昭子 (大石田高)19.59 |
大関 時子 (三馬ゴム) 43.17 |
日軽金の松岡昭義は三冠を逃したものの、30km、50kmの2種目を制し、15kmも2位という活躍。30kmでは3分近い差をつけての圧勝だった。15kmの6位に早坂毅代司、28位に山家祥幸の名前がある。
■ジャンプ
90m | 70m | |
---|---|---|
1 | 板垣 宏志(国土計画) 94.0m/97.0m 212.4 |
板垣 宏志(国土計画) 82.0m/73.0m 220.0 |
2 | 田口 世一(リンレイ) 62.5m/82.5m 159.2 |
沢田 久喜(雪印乳業) 77.0m/76.0m 212.3 |
3 | 角田 幸司(雪印乳業) 75.0m/84.0m 149.1 |
田口 世一(リンレイ) 83.0m/72.0m 211.0 |
主力の五輪組が欠場した大会で、五輪出場の板垣が70m、90mの2種目を制した。とくに90mでは、2位、3位の選手と飛距離を比較してもらえばわかるが、1~2本とも10m以上の大差をつける内容が目をひく。
札幌オリンピック
期間:2月3日~13日
参 加 国 35か国
参 加 数 1006人
日本選手 男子70人/女子20人
旗手 益子峰行(ジャンプ)
選手 | 種目/順位/記録 | |||
---|---|---|---|---|
■ジャンプ | ||||
70m | 90m | |||
笠谷 幸生 | 1位 | 84m/79m 244.2 | 7位 | 106m/85m 209.4 |
金野 昭次 | 2位 | 82.5m/79m 234.8 | 12位 | 98m/88.5m 199.1 |
青地 清二 | 3位 | 83.5m/79m 229.5 | ||
藤沢 隆 | 23位 | 81m/68m 207.8 | 14位 | 95.5m/86m 197.1 |
板垣 宏志 | 19位 | 90m/84m 183.1 |
■ノルディックコンバインド
勝呂 裕司 | 5位 | 390.200 |
中野 秀樹 | 13位 | 375.955 |
荒谷 一夫 | 15位 | 374.040 |
佐々木信孝 | 24位 | 359.945 |
■クロスカントリー
選手 | 15km | 30km | 50km | リレー/10位 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
谷藤 秀夫 | 37位 | 49:06.97 | 37位 | 1:45:37.13 | 2:13:59.14 | ||
柴田 国男 | 41位 | 49:38.95 | 23位 | 1:42:30.85 | 2:13:59.14 | ||
松岡 昭義 | 43位 | 49:50.72 | 2:13:59.14 | ||||
松村 元治 | 51位 | 50:43.76 | 棄権 | ||||
工藤 誠二 | 44位 | 1:47:00.40 | 29位 | 2:57:42.62 | |||
岡村 富雄 | 47位 | 1:47:50.22 | 2:13:59.14 | ||||
女子 | 5km | 10km | リレー | ||||
高橋 弘子 | 34位 | 18:32.75 | 25位 | 36:53.84 | 9位 | 53:20.75 | |
大関 時子 | 37位 | 19:00.82 | 33位 | 38:07.24 | 9位 | 53:20.75 | |
今井 春美 | 38位 | 19:05.73 | 37位 | 39:33.13 | |||
赤坂 明子 | 43位 | 19:49.74 | |||||
斉藤 秀子 | 38位 | 39:51.61 | 9位 | 53:20.75 |
■アルペン
男子 | 滑降 | 回転 | 大回転 | |||
---|---|---|---|---|---|---|
富井 澄博 | 22位 | 1:55.34 | ||||
大杖 正彦 | 35位 | 1:59.55 | 棄権 | |||
市村 政美 | 17位 | 1:14.83 | 15位 | 3:15.34 | ||
柏木 正義 | 18位 | 1:16.61 | 棄権 | |||
千葉 晴久 | 棄権 | 19位 | 3:17.23 | |||
古川 年正 | 棄権 | |||||
女子 | ||||||
南雲美津代 | 32位 | 1:43.07 | 棄権 | 棄権 | ||
片桐 美雪 | 35位 | 1:44.10 | 棄権 | 30位 | 1:39.11 | |
沖津はる江 | 40位 | 1:45.37 | 16位 | 1:40.67 | 22位 | 1:35.33 |
岡崎恵美子 |
41位 | 1:48.85 | 13位 | 1:39.53 32位 |
32位 | 1:40.37 |
ジャンプ陣がとうとうやってくれた。冬季オリンピックの初メダル獲得は、1956年、イタリアのコルティナダンペッツォで行われた大会で、アルペンの猪谷千春が回転2位となって銀メダルを獲得した。しかし、札幌までの16年、1個のメダルも獲得していない。
それが、第11回冬季オリンピックで、日本選手の冬季オリンピック史上、そして日本のスキー界にとって歴史的な出来事が起こった。
70m級ジャンプは大会4日目の2月6日、宮の森ジャンプ競技場で行われ、3万人の大観衆が見つめるなか、1本目84メートルを完璧なフォームで飛んだ笠谷は、2本目、91メートルの助走路を時速85キロのスピードで飛び出し、後半よく伸ばして最長不倒となる79メートルをマーク、史上初の金メダルを獲得した。
金野も銀メダル、そして青地も銅メダルを獲得、はじめて札幌の空に日の丸を3本揚げた。その瞬間、スキー関係者の誰もが抱き合い、声を上げて泣いた。
笠谷は現在、SAJの競技本部長として選手育成に尽力しているが、銅メダルを獲得した青地は、残念ながら今年8月14日、66歳の若さで天空へ飛翔した。
スキー年鑑第40号の表紙はもちろんメダル独占の表彰台。しかし、スキー年鑑では札幌オリンピック特集といった大きな扱いはない