連載7 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1938年(昭和13年)
第16回全日本スキー選手権大会
会場:北海道札幌
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 | |
---|---|---|---|---|---|
ジャンプ | 成年 | 亀ヶ森 隆 | 北大 | 59.50m/66.00m | |
少年 | 久留島敏明 | 樺太・廳鉄 | 57.50m/63.00m | ||
ノルディックコンバインド | 成年 | 坂田 時人 | ホッパー | 454.3 | |
少年 | 竹見 忠孝 | 札幌商 | 420.1 | ||
クロスカントリー | 長距離(18km) | 成年 | 桑原 富男 | 豊原スキー連盟 | 1:30:21 |
少年 | 伊藤 弘 | 豊原スキー連盟 | 1:32:17 | ||
壮年 | 高田 三郎 | 三菱美唄 | 1:41:58 | ||
耐久(40km) | 但野 寛 | 札幌鉄道 | 4:16:20 | ||
リレー | 豊原スキー連盟 | 3:32:15 | |||
アルペン | 滑降/男子 | 龍田 鳳三 | 早大 | 5:10:08 | |
滑降/女子 | 末武 清江 | 小樽スキー倶楽部 | 5:59:02 | ||
回転/男子 | 若本松太郎 | ホッパー | 146.0 | ||
回転/女子 | 鈴木 安子 | 旭川高女 | 118.2 | ||
複合/男子 | 小島 鉄弥 | ホッパー | 520.1 | ||
複合/女子 | 末武 清江 | 小樽スキー倶楽部 | 589.5 |
この大会からジャンプとノルディックコンバインドの「壮年」が廃止される。
※クロスカントリーの桑原富男(豊原スキー連盟)の名前が、その年によって「富雄」と「富男」の2通り出てきます。どちらが正しいのか、もしお分かりの方がいましたら、お教えください。本文では、スキー年鑑に記載された記録に忠実に掲載します。
雪は妙高山麓、田口からなんと貨車30両で運んだという。開催の目的はジャンプ競技を多くの人に知ってもらうためで、70年前の発想とは思えない斬新なもの。物珍しさにスタンドには多くの観客が見守る。左に漢数字で書かれたスコアボードが見え、スタンドのその先は水道橋駅。写真の選手は小樽中出の木村隆一。(スキー年鑑第12号より)
世界選手権大会派遣選手と成績
ラハティ(フィンランド)
代表選手 | 参加競技と成績 | ||
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純飛躍 | 複合 | 距離 | |
伊黒 正次 | 飛距離不明 10位 | ||
菊地 富三 | 成績不明39位 | ||
藤山 嘉造 | 成績・順位不明 | ||
次井 晨 | 成績・順位不明 |
初の世界選手権大会に4選手を派遣。しかし、スキー年鑑では詳細な報告及び記録がなく、クロスカントリーの順位と全選手の記録が不明。もし記録をご存知の方がいましたらお教えください。
1939年(昭和14年)
第17回全日本スキー選手権大会
会場:北海道札幌
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 | |
---|---|---|---|---|---|
ジャンプ | 成年 | 浅木 文雄 | 北海商業 | 66.00m/67.50m | |
少年 | 久保登喜夫 | 小樽中学 | 65.50m/60.00m | ||
ノルディックコンバインド | 成年 | 久慈 庫男 | 早大 | 450.8 | |
少年 | 竹見 忠孝 | ホッパー | 430.9 | ||
クロスカントリー | 長距離(17km) | 成年 | 佐藤 忠義 | 豊原スキー連盟 | 1:21:17 |
少年 | 落合 力松 | 北海商業 | 1:22:20 | ||
壮年 | 村上吉五郎 | 秋田林友 | 1:28:47 | ||
耐久(30km) | 関戸 力 | 札幌鉄道 | 3:17:48 | ||
リレー | 豊原スキー連盟 | 3:10:04 | |||
アルペン | 滑降/男子 | 小島 弘平 | 高田中学 | 4:04.02 | |
滑降/女子 | 石井 良子 | 豊原高女 | 3:35:00 | ||
回転/男子 | 若本松太郎 | 豊原スキー連盟 | 163.4 | ||
回転/女子 | 佐藤 啓子 | 旭川高女 | 149.6 | ||
複合/男子 | 奥村 末男 | 札幌商業 | 407.9 | ||
複合/女子 | 佐藤 啓子 | 旭川高女 | 362.8 |
記録の中に、当時のスキーを知る貴重な資料が掲載されてあった。アルペン(滑降)の記録の後に、選手が使用しているスキーのサイズと使用素材、スチール(エッジ)の有無が記されている。たとえば男子滑降で優勝した小島弘平選手はスキーの長さ207cm、素材はヒッコリーでスチール有りだった。スキーのサイズは結構バラバラで、最も短いのが189cm、最長サイズが207cm、その差は18cmもある。完走者60選手中、スチールなしはただ一人、10位に入った佐々木清(樺太鉄道)のみだった。しかし、旗門数はわからないが、エッジなしで完走し、しかも10位に入ったというのは、今では考えられない。
クロスカントリー・長距離の少年で優勝した落合力松(北海商業)は、その後、数々のタイトルを獲得した名選手だった。昭和55年から昭和61年までSAJの理事(昭和57年から常務理事)を努め、1998年に開催された長野オリンピックが終了した約4か月後の6月19日、静にその生涯を閉じた。
第17回全日本スキー選手権大会、耐久競争で優勝した関戸力選手の力強い走り(スキー年鑑第13号より)