2009/06/17

連載46 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった

1995年(平成7年)
第73回全日本スキー選手権大会

アルペン :長野県山ノ内町志賀高原西館山スキー場(技術系)
:長野県白馬村 八方尾根スキー場(スピード系)
ノルディック :長野県白馬村 白馬ジャンプ競技場/岩岳スキー場(NC=CC)
:北海道音威子府村 チセネプリクロスカントリー競技場
フリースタイル :長野県飯山市 斑尾高原スキー場
スノーボード :新潟県湯沢町 苗場スキー場

 

■アルペン

種目 1位 2位 3位
男子
滑降
富井 剛志
(野沢温泉SC)1:22.93
木村 公宣
(ロシニョール) 1:23.22
滝下 靖之
(ミズノ) 1:23.46
女子
滑降
池田 和子
(ロシニョール) 1:29.38
柏木久美子
(双葉女子高)1:29.58
松田美登里
(中京大) 1:29.90
男子
スーパーG
富井 剛志
(野沢温泉SC)1:15.65
滝下 靖之
(ミズノ) 1:16.28
井上 春樹
(専大)1:16.45
女子
スーパーG
池田 和子
(ロシニョール) 1:19.74
関 理奈
(長野日大高)1:20.59
柏木久美子
(双葉女子高)1:20.68
男子
大回転
BORTIS Michel(SUI)
1:07.25/1:04.81 2:12.06
石岡 拓也(ヤマハ)
1:07.78/1:05.66 2:13.44
STOESSEL Rene(SUI)
1:08.57/1:05.33 2:13.90
女子
大回転
山川 純子(日大)
54.17/54.89 1:49.06
池田 和子(ロシニョール)
54.60/54.97 1:49.57
内田 真紀(東海大四高)
55.06/55.08 1:50.14
男子
回転
PLASCHY Didier(SUI)
50.58/53.43 1:44.01
石岡 拓也(ヤマハ)
50.94/53.15 1:44.09
平澤 岳(志賀高原SC)
51.86/52.70 1:44.56
女子
回転
池田 和子(ロシニョール)
46.95/49.35 1:36.30
廣井 法代(神立高原SC)
46.70/49.84 1:36.54
PELLETIER Monique(USA)
47.08/50.01 1:37.09

池田和子が、滑降、スーパーG、回転とスピード系、技術系の3種目を制し、大回転でも2位と準パーフェクトを達成した。スペシャリスト化が進む中で、オールラウンダーは貴重な存在。全競技を制した最強のオールラウンダー、川端絵美引退後、チームの弱体化が心配されたが、その中で池田が「ポスト川端」に猛烈なアピールをした。
 
男子の技術系は、スイスのボルティス、プラッシー両選手に敗れてしまったが、石岡拓也は2種目ともラップと差のないレースで2位と健闘した。とくに回転の2本目は、プラッシーを大幅に上回るラップタイムをマークしている。

 

当時のジャパンチームAランク選手
男子 木村公宣

 

■ノルディックコンバインド

順位 選手名 所属 飛躍点 距離タイム
山本 直鋭 北野建設 208.5(3) 50:52.8(9)
山田 和由 早稲田大学 207.0(4) 50:48.1(5)
上野 隆 東京美装 217.5(1) 53:08.1(18)

世界選手権大会出場組が不在だったが、その中で1992年の第70回全日本スキー選手権大会で河野孝典に次いで2位に入った実績がある山本直鋭が、得意のジャンプで3位につけ、クロスカントリーで粘って初優勝を遂げた。

 

当時のジャパンチームAランク選手
荻原健司・荻原次晴・森 敏・古川純一

 

■クロスカントリー

種目 1位 2位 3位
男子
10km C
長浜 一年
(シークラフト) 27:33.1
堀米 光男
(志賀高原)28:03.3
渡辺 博文
(イセト紙工)28:08.2
男子
複合
長浜 一年
(シークラフト) 1:05:33.0
渡辺 博文
(イセト紙工)1:06:09.1
後藤 忍
(イセト紙工)1:06:14.0
男子
30km C
長浜 一年
(シークラフト) 1:27:57.2
佐藤 勇治
(冬戦教) 1:28:39.4
渡辺 博文
(イセト紙工)1:28:45.1
男子
50km F
長浜 一年
(シークラフト) 2:19:55.3
大嶋 次郎
(イセト紙工)2:22:42.5
後藤 忍
(イセト紙工)2:24:12.7
男子
リレー
日本大学
1:41:07.1
陸自冬戦教
1:42:07.9
イセト紙工
1:42:56.5
女子
5km C
青木富美子
(真室川R) 16:24.6
佐藤恵美子
(北野建設) 16:45.9
若井 涼子
(六日町高) 16:53.0
女子
複合
青木富美子
(真室川R) 47:36.2
横山寿美子
(日大) 48:15.8
横山久美子
(昭和電機) 49:21.1
女子
15km C
青木富美子
(真室川R) 46:04.8
佐藤恵美子
(北野建設) 47:29.4
横山寿美子
(日大) 47:44.3
女子
30km F
青木富美子
(真室川R)タイム不明
選手不明 選手不明
女子
リレー
日本大学
59:10.4
旭川大学高校
1:01:05.8
陸自冬戦教
1:02:38.3

大エース、佐々木一成が引退して飛び出してきたのがフィッシャースキーの輸入商社に勤務する長浜一年。それもいきなり四冠を獲得するという快挙を達成した。身体能力抜群で、チーム期待の堀米光男が10kmクラシカルで2位と健闘した。女子の青木富美子は、余裕の四冠を決めた。スキー年鑑には女子30kmフリーのリザルツの掲載がなく、競技報告の中で優勝した青木の名前だけは確認できたが、青木のタイム、そして2位以下の選手の氏名、順位については不明。

 

当時のジャパンチームAランク選手
女子 青木富美子

 

■ジャンプ

順位 ラージヒル 順位 ノーマルヒル
千葉 勝利(猪苗代SC)
123.0m/116.0m 229.2
野呂田義一(デサント)
87.0m/88.0m 220.0
佐藤 昌幸(NTT北海道)
118.0m/118.0m 221.8
原田 雅彦(雪印乳業)
86.0m/89.0m 220.0
原田 雅彦(雪印乳業)
119.5m/114.0m 217.8
渋谷 潤 (たくぎん)
84.5m/88.5m 216.5

ラージヒルでは遅咲きのジャンパー、千葉勝利がただひとり120メートル越えを記録して優勝を飾った。千葉は、北海道のジャンプ一家に生まれ、祖父、叔父さん、お父さんが揃ってジャンパーだった。2位の佐藤昌幸は高校時代から船木和喜と常に勝ち負けを争ったライバルで、トップジャンパーに成長した船木に追いつくために必死のジャンプで2位を確保した。

 

当時のジャパンチームAランク選手
船木和喜・岡部孝信

 

第15回全日本フリースタイル選手権大会

種目 男子 得点 女子 得点
バレエ 1 長谷川宏太郎(港区MFF) 20.70 1 田中由香子(港区MFF) 23.15
2 小倉 慎一(京都シティ) 17.25 2 近藤有希子(順天堂大) 20.80
3 生沼 英幸(港区MFF) 15.90 3 福本 望 (順天堂大) 19.35
モーグル 1 附田 雄剛(札幌光星高) 25.16 1 里谷 多英(東海大四高) 23.30
2 原大虎(エクストリーム) 23.97 2 附田 麻美(東海大) 21.55
3 三浦 豪太(ニスビー食品) 23.89 3 上村 愛子(白馬中) 20.21
エアリアル 1 石川 康太(チームリステル) 134.17 1 岩崎 彰子(FS少年団) 115.70
2 待井 寛 (チームリステル) 133.12 2 田尻裕喜子(チームリステル) 90.28
3 中野銀次郎(チームリステル) 129.97 3 宮澤左知子(スカーゼSSC) 84.14

前年に行われたリレハンメルオリンピックのモーグルで日本選手が予選を通過(里谷多英11位)したことで、フリースタイル及びモーグルの認知度が上がり、コースサイドにギャラリーが詰めかけるようになったと報告(TD 信太智秀)している。バレエ、モーグル、エアリアル3種目を通じて、モーグルで優勝した附田雄剛、里谷多英2人だけが今も現役を続けている。

 

当時のジャパンチームAランク選手
女子バレエ 田中由香子

 

第1回全日本スノーボード選手権大会

種目 男子 得点 女子 得点
GAL 1 佐々木耕司(あだたら) 1:37.59 1 町田 祥子(オリンピック) 1:49.90
2 松里 啓(エヌアンドエス) 1:38.42 2 五十嵐一美(湯沢パーク) 1:50.72
3 岸本 真也(兵庫県) 1:40.02 3 箭木 孝美(SSS) 1:51.58
HP 1 綿谷 直樹(石狩開発) 66.6 1 武山 香里(定山渓ホテル) 46.7
2 田原 勝也(ラッカーズ) 66.5 2 安達 正子(神奈川県) 44.4
3 梶浦 修治(東京都) 64.4 3 大西 美江(丸勝大西) 43.5

第1回の全日本スノーボード選手権大会が苗場スキー場で開催された。最初の大会とあって各都道府県連盟の予選会、または出場枠もないため開催するまで何人が出場するかわからない状態での開催となった。そのため組織委員会では、参加者が多い場合は予選会を開催(GSLは予選を行った)する段取りを整えて対応できるようにしていた。
 
最終的に38都道府県から310名の参加があり、最初の大会としては大成功だった。ハーフパイプ男子で優勝した綿谷直樹は、現在、ハーフパイプチームのチーフコーチを努め、青野令をはじめ多くの選手を世界へ送り出した。

 

当時のジャパンチームAランク選手
なし

 

FIS世界選手権大会
ノルディック
開催国:カナダ(CAN)
開催地:サンダーベイ(Thunder Bay)

 

■ジャンプ

NH 1/岡部 孝信
95.0m/100.0m 266.0
2/斉藤 浩哉
88.0m/103.0m 256.3
7/西方 仁也
93.0m/83.0m 222.5
38/船木 和喜
53/原田 雅彦
LH 5/船木 和喜
116.5m/114.5m 251.5
15/岡部 孝信
110.5m/104.5m 182.0
22/安崎 直幹
99.5m/104.5m 158.2
24/西方 仁也
99.5m/102.5m 156.6
団体 3/安崎・斉藤・西方・岡部 836.9
代表 伊藤直人・須田健仁

 

■ノルディックコンバインド

個人 5/荻原 健司
246.0
8/阿部 雅司
232.0
10/荻原 次晴
236.0
19/河野 孝典
22/森敏
団体 1/阿部・荻原次・荻原健・河野 980.5

 

■クロスカントリー

男子10km C 34/今井 博幸
27:10.9
42/長浜 一年
27:34.4
54/渡辺 博文
27:50.3
61/蛯沢 克仁
28:06.5
男子パシュート 24/今井 博幸
1:08:46.3
33/長浜 一年
1:09:33.8
45/蛯沢 克仁
1:10:36.8
63/渡辺 博文
1:13:47.8
男子30km F 25/今井 博幸
1:22:58.8
35/長浜 一年
1:24:15.0
47/蛯沢 克仁
1:25:33.5
48/渡辺 博文
1:25:36.1
男子50km C 不参加
男子リレー 13/今井・長浜・蛯沢・渡辺 1:43:00.3
女子5km C 44/青木富美子
17:27.1
48/古澤 緑
17:31.3
53/横山寿美子
17:47.6
62/大高 友美
18:08.0
女子パシュート 41/青木富美子
48:00.0
49/横山寿美子
49:13.9
51/古澤 緑
49:21.1
58/大高 友美
50:58.3
女子15km F 33/横山寿美子
47:08.7
49/古澤 緑
49:49.4
女子30km F 不参加
女子リレー 12/古澤・青木・横山・大高 1:01:18.8

小さな大ジャンパー、岡部孝信が世界を驚かせた。前年のリレハンマエルオリンピックでラージヒル4位とみごとに世界デビューを果たした岡部選手が、ノーマルヒルで初の世界タイトルを獲得、斉藤浩哉も2位に入ってワンツーを決める快挙を達成した。ジャンプチームは団体でも銅メダルを獲得して札幌オリンピック以来となる同一大会3個のメダルを獲得した。
 
ノルディックコンバインドの団体戦は、1992年アルベールビル五輪、1993年世界選手権大会(ファールン)、1994年リレハンメル五輪に続いて「世界戦」4連覇の金字塔を打ちたてた。荻原健司、河野孝典両選手は4大会すべての金メダルにかかわっている。
 
また、現在、スポーツコメンティーターとして活躍している荻原次晴は、世界選手権大会初出場で金メダルを獲得した。兄弟で同時に金メダルを獲得したのは、日本の競技史上初の快挙。

 

■アルペン
開催国:スペイン(SPA)
開催地:シェラネバダ(Sierra Nevada)

 

種目 順位/選手名
男子
滑降
不参加
男子
回転
15/平澤 岳
1:47.03
棄権/木村 公宣
男子
大回転
21/川口 城二
記録不明
棄権/木村 公宣
男子
スーパーG
不参加
女子
滑降
不参加
女子
回転
20/池田 和子
1:38.30
女子
大回転
棄権/池田 和子
女子
スーパーG
不参加

1995年に開催する予定だった同大会は、開催地のスペイン、シェラネバダが記録的な雪不足のため開催できず、翌1996年に開催された。参加した選手は男子が木村公宣、平澤岳、川口城二の3名、女子は池田和子1人だった。男子回転で平澤岳が15位と健闘したが、木村公宣は回転、大回転とも途中棄権だった。

 

フリースタイル
開催国:フランス(FRA)
開催地:ラ・クルズ(La Clusaz)

 

種目 男子 女子
アクロ 12 生沼 英幸 19.45 15 田中由香子 20.30
20 長谷川宏太郎 17.05 23 近藤有希子 17.10
モーグル 14 三浦 豪太 14.32 12 里谷 多英 23.18
33 原大虎 不明
36 附田 雄剛 11.04
エアリアル 33 安藤 和明 111.20 不参加

女子モーグルは初参加。その初出場のモーグルで、前年のリレハンメルオリンピックで11位と決勝進出を果たした里谷多英が、この大会でも12位と決勝に進出。しかし、上位に勝ち上がることは出来なかった。

 

(本文の敬称略)