連載13 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1956年(昭和31年)
第34回全日本スキー選手権大会
会場:秋田県大館市・花輪町・大湯町・宮川村
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 渋谷 昭男 | 早大 | 221.1 | |
ノルディックコンバインド | 江遠 要甫 | 長野営林局 | 446.060 | |
クロスカントリー | 耐久 | 角 昭吾 | 秋田営林局 | 2:51.30 |
長距離 | 塩島 澄博 | 長野電鉄 | 57.13 | |
リレー(男子) | 秋田営林局A | 2:23.24 | ||
リレー(女子) | 全北城高 | 1:58.32 | ||
アルペン | 滑降(男子) | 金丸 睦郎 | 東洋高圧 | 3:28.3 |
滑降(女子) | 遠田ミツ子 | 末松産業 | 2:06.7 | |
回転(男子) | 園部 勝 | 法大 | 2:32.7 | |
回転(女子) | 遠田ミツ子 | 末松産業 | 1:55.4 | |
大回転(男子) | 金丸 睦郎 | 東洋高圧 | 1:18.0 | |
大回転(女子) | 大滝はつえ | 三馬ゴム | 1:17.6 |
この大会からアルペンに大回転が正式に採用され、滑降、回転と合わせて3種目となった。長距離で優勝した塩島澄博は、平成4年から地元、長野オリンピックが行われた平成10年までSAJ常務理事を務めた。
滑降、3位藤島幸造(長野営林局)、5位丸山庄司(長野営林局)、7位多田 修(早大)、10位園部 勝(法大)とアルペンの関係者には懐かしい顔ぶれが上位を占めている。
第7回冬季オリンピック
コルティナダンペッツォ(イタリア)/開催期間:1月26日~2月5日
代表選手 | 参加競技と成績 | ||||||
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純飛躍 | 複合 | 距離 | |||||
吉沢 広司 | 13 | 80.5m/84m | |||||
佐藤 耕一 | 39 | 68m/66m | 33 | 384.09 | |||
宮尾 辰男 | 15km | 48 | 56.59 | ||||
30km | 28 | 1:55.40 | |||||
50km | 25 | 3:25.47 | |||||
藤沢 良一 | 65 | 65m/70m | 24 | 395.7 | 15km | 96 | 1:05.55 |
小西 健吾 | 15km | 33 | 59.29 | ||||
30km | 46 | 2:08.05 | |||||
50km | 33 | 3:36.47 | |||||
アルペン | |||||||
滑降 | 回転 | 大回転 | |||||
猪谷 千春 | 失格 | 2 | 3:18.7 | 11 | 3:15.6 | ||
杉山 進 | 33 | 3:39.1 | 33 | 4:17.0 | 47 | 3:40.8 |
「猪谷千春、回転2位」の外電に、SAJで連絡を待っていた会長の小川勝次は一瞬体が震えたとスキー年鑑(第24号)で振り返っている。しかし、その連絡には続きがあった。「2位となったが、1本目、反則(片足反則)の疑いがあり、もし反則となったらタイムが加算されて5位になる」との報であった。小川は再び体が震えた。
結果的に反則は認められず、ここに日本選手の冬季オリンピック史上初のメダリストが誕生した。写真をみてもわかるように、旗門といっても今のスマートなポールと違い、山から切り出してきた大人の腕ほどもある丸太。片足反則などあり得ない。
オリンピックが終わった翌年、留学先のアメリカ・ニューハンプシャー州からスキー年鑑に「オリンピックの想い」を寄稿している。その中で猪谷は、「2位」の要因として3つの恵まれた条件を挙げている。ひとつは、早期からヨーロッパの雪に慣れ、各国の選手と一緒にトレーニングできたこと、ふたつめは当時使用していたオーストリア製のケスレー(スキー)が、注文していたスキー9台に対して同社の好意で30台近く用意してくれたことで、その中から10台あまりの素晴らしいスキーが選べたこと。そして前年くらいから各国で開催されていた国際大会で実績を挙げたことでオリンピックでは第1シード(大会ではゼッケン7番)で出場できたことを挙げている。ちなみに、本番では2メートル10のスキーで出場した。
キッツビューエル(AUT)でのレース終了後、コルティナの日本選手団に合流した猪谷千春。スイスのアーデルボーデンでの大会で優勝するなど、ヨーロッパで成績を出している猪谷の人気は凄い。写真は、大会前のひととき、コルティナ駅前に特設されたオーストリアの名機、クナイスルのショップでナイロンのジャケットを買う猪谷
1本目の素晴らしい猪谷の滑り。6位につけ十分メダルを狙える位置につけた
タイムを示すボードの6番目(左下)の「GIA 1:30.2」が表示されている。ラップで今大会アルペン三冠王に輝いたオーストリアのアントン(トニー)・ザイラーに2秒9紗であった。「GIA」は、当時の日本の呼び名、ジャポネの略称である
1本目が終わってホッとした表情を見せる猪谷。撮影したのは、元早稲田大学スキー部出身で当時、毎日新聞運動部の堀浩である。堀は、今大会の監督を努めた野崎彊の後輩でもある
2本目のインスペクションを行うゼッケン7番の猪谷。ポールの太さ、旗門員の服装、など52年前のレース事情がうかがえる
2本目、攻めに攻めた猪谷の会心の滑り。この瞬間、日本選手の冬季オリンピック史上初のメダリストが誕生した
スキー年鑑では、当時めずらしい猪谷の分解写真が掲載されていた(写真はいずれもスキー年鑑第24号)
1957年(昭和32年)
第35回全日本スキー選手権大会
会場:長野県野沢温泉村・志賀高原(アルペン)
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 杉山 安久 | 三井芦別 | 71.0m/65.0m | |
ノルディックコンバインド | 江遠 要甫 | 長野営林局 | 453.5 | |
クロスカントリー | 耐久 | 松橋 高司 | 中電 | 3:47.58 |
長距離 | 宮尾 辰男 | 日曹 | 59.14 | |
女子 | 横山 良子 | 風間スキー | 42.07 | |
リレー(男子) | 長野電鉄 | 2:46.35 | ||
リレー(女子) | 風間スキークラブ | 1:06.22 | ||
アルペン | 滑降(男子) | 出雲 道男 | 日大 | 2:29.6 |
滑降(女子) | 遠田ミツ子 | 末松産業 | 2:27.2 | |
回転(男子) | 杉山 進 | 長野電鉄 | 2:28.4 | |
回転(女子) | 大滝はつ江 | 三馬ゴム | 1:47.8 | |
大回転(男子) | 園部 勝 | 法大 | 1:44.7 | |
大回転(女子) | 大滝はつ江 | 三馬ゴム | 1:42.5 |
長野営林局の江遠要甫は、圧倒的な強さでノルディックコンバインドを連勝、アルペン回転では、前年、新鋭、園部勝に敗れた杉山進が雪辱を果たした。