連載15 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1960年(昭和35年)
第38回全日本スキー選手権大会
会場 | :新潟県高田市金山スキー場(ノルディック) |
:新潟県妙高高原(アルペン) |
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 吉沢 広司 | 同和花岡 | 56.0m/58.5m | |
ノルディックコンバインド | 笠松 繁 | 東洋高圧 | 444.9 | |
クロスカントリー | 耐久 | 村井 才春 | 東洋高圧 | 3:33.04 |
長距離 | 北村 辰夫 | 中電工 | 56.44 | |
女子 | 横山 良子 | 風間スキークラブ | 41.41 | |
リレー(男子) | 中電工 | 3:14.00 | ||
リレー(女子) | 風間スキークラブ | 1:24.58 | ||
アルペン | 滑降(男子) | 出雲 道男 | 天理スキークラブ | 2:03.8 |
滑降(女子) | 河畑 栄子 | 双葉高校 | 1:43.5 | |
回転(男子) | 杉山 進 | 長野電鉄 | 2:45.0 | |
回転(女子) | 大滝はつ江 | 三馬ゴム | 1:49.8 | |
大回転(男子) | 出雲 道男 | 天理スキークラブ | 2:16.8 | |
大回転(女子) | 大滝はつ江 | 三馬ゴム | 1:43.0 |
ジャンプはベテラン、酒井清孝(三井芦別)と吉沢広司(同和花岡)の優勝争いとなり、吉沢が4度目の優勝を飾った。注目されたのは、笠谷幸生(余市高)、東 恒弘(北照高校)の高校生コンビの活躍。とくに笠谷は1本目、59メートルの最長不倒距離をマークして観衆を沸かせたとスキー年鑑(第28号)に記録されている。その笠谷は3位、東は7位だった。笠谷については、その後、1972年札幌オリンピックの70m級ジャンプで冬季オリンピック史上初の金メダルを獲得、スキー史にその名を残している。
現在、笠谷は競技本部長として2010年バンクーバーオリンピックでのメダル獲得へ向けて強化の目を各チームに向けている。
アルペンでは、回転6位に元SAJ専務理事の丸山庄司(白馬体育協会)が入っており、他では元理事は畑山匡(直江津中学)、銀座のスキーショップ「好日山荘」の子息、海野好彦の名前もある。
第8回冬季オリンピック
スコーバレー(アメリカ)/開催期間:2月18日~2月28日
代表選手 | 参加競技と成績 | ||||||
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純飛躍 | 複合 | 距離 | |||||
菊地 定夫 | 15 | 88.5m/77m | |||||
佐藤 耕一 | 22 | 82m/78m | |||||
江遠 要甫 | 25 | 85.5m/72.5m | 15 | 429.984 | |||
松井 孝 | 30 | 78.5m/75m | |||||
谷口 明見 | 24 | 409.226 | リレー | 10 | 2:36:44.9 | ||
佐藤 和男 | 15km | 30 | 56:15.0 | ||||
30km | 41 | 2:07:07.2 | |||||
リレー | 10 | 2:36:44.9 | |||||
松橋 高司 | 15km | 40 | 57:49.1 | ||||
30km | 35 | 2:06:25.5 | |||||
リレー | 10 | 2:36:44.9 | |||||
栗田 栄治 | 15km | 45 | 57:57.0 | ||||
30km | 39 | 2:11:25.8 | |||||
リレー | 10 | 2:36:44.9 |
アルペン:バドガシュタイン(オーストリア)
代表選手 | 滑降 | 回転 | 大回転 | |||
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猪谷 千春 | 34 | 2:25.0 | 12 | 2:20.2 | 23 | 1:55.8 |
多田 修 | 46 | 2:28.5 | 26 | 2:44.0 | 35 | 2:06.5 |
見谷 昌禧 | 53 | 2:31.3 | 失格 | 33 | 2:05.6 | |
武田 孝 | 33 | 2:56.0 | 44 | 2:13.4 |
ノルディックコンバインドに出場した江遠要甫は、前半の飛躍(60m級)で3本目に最長不倒距離をマークして3位に入り、後半の距離に期待が集まった。しかし、飛躍以上に世界との差が大きい距離では、ラップに7分20秒離されてしまい15位に終わった。
アルペン回転での猪谷千春は、1本目、ゼッケン21番の不利を克服してラップに2秒1差の6位につきえて、1956年、コルティナダンペッツォに次ぐ2大会連続メダル獲得も見えた。しかし、2本目、コースは荒れ、ドイツのボグナー、フランスのボンリューら名手が28旗門目で続けて失敗、猪谷もその28旗門を目の前にした26旗門目の平凡なオープンテレグラムで溝にエッジを取られて大きくコースをはみ出してしまった。
猪谷は、5~6歩登ってコースに戻って滑ったが、タイムロスは大きく結果は12位。しかし、棄権せずに滑ったことで大観衆の賞賛を得たと報告されている。
複合、前半距離のスタート前リラックスする選手たち。左から佐藤和男、栗田栄治、谷口明見、江遠要甫
サンフランシスコのホテル前を会場に向けて出発する直前に撮影。左から見谷昌禧、谷口明見、多田 修、木原均団長、坂田秘書、栗田栄治、松井 孝、1人おいて佐藤和男、落合力松、橋本茂生コーチ、江遠要甫の各メンバー
滑降でも素晴らしいプレジャンプを見せる猪谷千春
複合の前半ジャンプで江遠が3位と大健闘、思わず掲示板にカメラを向けた
1961年(昭和36年)
第39回全日本スキー選手権大会
会場:長野県志賀高原
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 松井 孝 | 早大 | 76.0m/78.0m | |
ノルディックコンバインド | 江遠 要甫 | 明大 | 445.4 | |
クロスカントリー | 50km | 佐藤 和男 | 野沢温泉 | 3:01.42 |
15km | 佐藤 和男 | 野沢温泉 | 54.48 | |
女子10km | 髙橋 弘子 | 湯沢北高校 | 47.38 | |
リレー(男子) | 長野電鉄 | 2:26.11 | ||
リレー(女子) | 湯沢北高校 | 1:34.55 | ||
アルペン | 滑降(男子) | 藤島 幸造 | 日大 | 2:25.3 |
滑降(女子) | 富井 初子 | 野沢温泉 | 2:40.2 | |
回転(男子) | 藤島 幸造 | 日大 | 2:33.8 | |
回転(女子) | 富井 初子 | 野沢温泉 | 1:58.4 | |
大回転(男子) | 気田 義也 | 倶知安高校 | 2.13.9 | |
大回転(女子) | 富井 初子 | 野沢温泉 | 1:31.5 |
ノルディック、アルペンとも長野県・志賀高原で行われた。クロスカントリーは、野沢温泉スキークラブの佐藤和男が50km、15kmとも制したが、とくに50kmでは2位に3分近い大差をつけて力の違いを見せつけた。
アルペン女子の富井初子(野沢温泉スキークラブ)は2度目の三冠を達成、日大の藤島幸造も滑降、回転の2種目を制した。
第39回全日本選手権のクロスカントリー女子10kmで優勝した髙橋弘子(秋田・湯沢北高校)。髙橋(途中から千葉の姓で出場)はこの後、同種目で女子としては数々のタイトルを獲得する
アルペンで2冠を制した日大の藤島幸造