連載2 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
文中に登場する人物の敬称は略(以下)させていただきます。
1925年(大正14年)
第3回全日本スキー選手権大会会場:青森県大鰐
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 青山 馨 | 北大 | 17.40m/18.30m | |
クロスカントリー | ||||
4km | 高橋 昴 | 早大 | 22:57.1 | |
10km | 松田 幸義 | 北海炭鉱 | 1:02:33.7 | |
16km | 中川 新 | 早大 | 1:39:30.1 | |
リレー | 早稲田大学 | 1:31:35.1 |
この年の2月15日、全日本スキー連盟が設立された。加盟団体は20、初代会長は稲田昌植が就任した。
クロスカントリー16kmで優勝した中川新は、選手引退後、昭和25年から昭和46年まで、21年にわたってSAJの副会長を務めている。
1926年(大正15年・昭和元年)
第4回全日本スキー選手権大会会場:樺太・豊原
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 |
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ジャンプ | 伴 素彦 | 北大 | 21.70m/21.20m | |
クロスカントリー | 10km | 矢沢 武雄 | 早大 | 55:48 |
25km | 高橋 昴 | 早大 | 2:14:46 | |
リレー | 早稲田大学 | 2:03:35 |
ジャンプの飛距離に注目していただきたい。前年大会と比較して、2~3メートル距離が伸びているのがわかる。また、クロスカントリー(10km)も確実にタイムを短縮しているのがわかり、レベルアップの過程が飛距離とタイムにあらわれている。今後も、前年の記録と比較して競技の歴史の流れを感じていただきたい。
この年からクロスカントリーの4kmが廃止され、同競技は10km、25kmの2種目となった。全日本選手権大会が、はじめて樺太(豊原)で開催された。大会は、ジャンプの北海道大学に対してクロスカントリーの早稲田大学の戦いが繰り広げられた。
全日本スキー連盟、国際スキー連盟(FIS)に加盟。全日本専門学校スキー競技連盟(現在の全日本学生スキー連盟)が設立された。
1927年(昭和2年)
第5回全日本スキー選手権大会
大正天皇崩御のため大会は中止された。
SAJスキー年鑑が創刊された。