2008/08/07

連載3 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった

日本初出場となった五輪の開会式に出席する選手たち。当時の最先端のマテリアルを身につけている。左から伴、引率の廣田戸七郎(当時の常任委員)、竹節、矢沢、高橋、麻生、永田の各選手たち(スキー年鑑第2号より)

日本初出場となった五輪の開会式に出席する選手たち。当時の最先端のマテリアルを身につけている。左から伴、引率の廣田戸七郎(当時の常任委員)、竹節、矢沢、高橋、麻生、永田の各選手たち(スキー年鑑第2号より)

 

1928年(昭和3年)
第6回全日本スキー選手権大会
会場:北海道札幌

競技名 種目名 優勝者 所属 記録
ジャンプ 神沢 謙三 北大 27.00m/24.50m
クロスカントリー
15km 長田 光男 北大 1:10:51
30km 栗谷川平五郎 札幌鉄道 2:37:30
リレー 札幌RFクラブ 2:18:26

第2回からリレーで4年連続優勝していた早稲田大学を、エース栗谷川を擁する札幌RFクラブが破って初優勝を遂げた。

 

第2回冬季オリンピック派遣選手と成績
サンモリッツ(スイス)/開催期間:2月11日~19日
日本初参加

代表選手 参加競技と成績
純飛躍 複合 距離
伴 素彦 34m/39m 36位
麻生 武治 失格 棄権
竹節 作太 棄権 長距離2:04.20 30位
耐久 6:08.50 26位2:14:46
矢沢 武雄 長距離2:02.29 26位
永田 実 長距離2:04.23 31位
耐久 6:02.42 24位
高橋 昴 長距離2:10.57 36位
耐久 6:05.25 25位

初のオリンピック派遣。日本選手団は役員1人、選手6人(男子)だった。主将はクロスカントリーの高橋昴だった。麻生武治は、ヨーロッパ留学中に招集がかかり、現地で合流した。派遣経費がかからないというのが代表に選ばれた理由のひとつだった、と本人が後年語っていた。
ジャンプの伴素彦は、オリンピック代表選手としてただ一人SAJの会長に就任した人物。就任期間は昭和50年から昭和61年まで。
クロスカントリー、複合に出場した竹節作太は、昭和21年から昭和29年まで、第2代の専務理事を務めている。(1998年9月3日逝去)
第1回の「全日本学生スキー競技会」が青森県大鰐で開催された。

 

1929年(昭和4年)
第7回全日本スキー選手権大会
会場:新潟県高田

競技名 種目名 優勝者 所属 記録
ジャンプ 牧田 光武 樺太・豊原 26.00m/28.00m
ノルディックコンバインド 神沢 謙三 北大 16.406
クロスカントリー 18km 後藤五一郎 妙高スキー倶楽部 1:42:16
40km 上石 巌 高田 4:01:34
リレー 妙高スキー倶楽部 1:57:32

この大会から全日本スキー選手権に複合(ノルディックコンバインド)が加わり、ノルディック種目は3競技となった。神沢謙三(北大)は、前年のジャンプに続いて2年連続優勝を果たしたが、種目の異なる連続優勝は初。