連載6 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1936年(昭和11年)
第14回全日本スキー選手権大会
会場:新潟県小千谷
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 | |
---|---|---|---|---|---|
ジャンプ | 成年 | 森 敏雄 | 明大 | 53.50m/55.50m | |
少年 | 星野 昇 | 北海商 | 54.00m/53.00m | ||
壮年 | 稲葉 忠七 | 北大OB | 26.00m/32.00m | ||
ノルディックコンバインド | 成年 | 菊地 富三 | 明大 | 445.2 | |
少年 | 逸見 三郎 | 高田 | 393.3 | ||
壮年 | 稲葉 忠七 | 北大OB | 424.2 | ||
クロスカントリー | 長距離(18km) | 成年 | 松橋 朝一 | 中電工 | 1:25:07 |
少年 | 峰村 信治 | 日曹 | 1:34:16 | ||
壮年 | 今野仁五郎 | 秋田林友 | 1:45:30 | ||
耐久(50km) | 桑原 富雄 | 樺太・豊原 | 3:23:10 | ||
リレー | 明治大学 | 2:33:01 |
長距離の少年で優勝した峰村信治(早大卒)は、後にSAJ事務局長として、陰で選手を支えた。
明治大学はリレー初優勝。
第4回冬季オリンピック派遣選手と成績
ガルミッシュパルテンキルヘン(西ドイツ)/開催期間:2月6日~16日
代表選手 | 参加競技と成績 | ||
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純飛躍 | 複合 | 距離 | |
伊黒 正次 | 74.5m/72.5m 7位 | ||
宮嶋 巌 | 63.5m/63.5m 31位 | ||
安達 五郎 | 記録不明 45位 | ||
龍田 峻次 | 記録不明 46位 | ||
関口 勇 | 350.9 29位 | ||
関戸 力 | 330.3 35位 | 長距離1:32.48 55位 | |
山田 伸三 | 278.8 43位 | 長距離1:31:28 49位 | |
山田 銀蔵 | 長距離1:33:17 56位 | ||
但野 寛 | 長距離1:32:28 59位 耐久 4:10:23 28位 |
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岡山 忠雄 | 耐久 4:30:28 34位 | ||
リレー | 山田銀・関戸・但野・山田伸 | 3:10:5912位 |
クロスカントリーの耐久に出場した新潟の岡山忠雄。クロスカントリー王国、新潟が生んだ名手だが、その岡山の子息である紘一郎は、現在SAJの副会長としてスキー界発展に尽力している。
ジャンプの伊黒正次が、当時の日本の選手としては驚異的な74.5m、72.5mと初の70m代を記録してこれまでのオリンピックで最高の7位となった。
第4回大会からアルペン競技が正式に採用された。第1回のアルペンのゴールドメダリストは、滑降/B.Ruud(NOR)、回転/F.Pfnur(GER)、複合/F.Pfnurだった。Pfnur(プニュール)は滑降でRuud(ルード)に次ぐ銀メダルを獲得、準三冠となった。日本は不参加。
第4回ガルミッシュオリンピックでの伊黒正次の雄姿。7位の好成績を収めた(スキー年鑑第10号より)
1937年(昭和12年)
第15回全日本スキー選手権大会
会場:秋田県大館
第1回アルペン
会場:滋賀県伊吹山
競技名 | 種目名 | 優勝者 | 所属 | 記録 | |
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ジャンプ | 成年 | 伊黒 正次 | 札幌鉄道 | 67.00m/67.50m | |
少年 | 伊藤 英夫 | 樺太・廳鉄 | 68.50m/60.50m | ||
ノルディックコンバインド | 成年 | 久慈 庫男 | 早大 | 424.50 | |
少年 | 岡部 修 | 札幌一中 | 365.50 | ||
クロスカントリー | 長距離(18km) | 成年 | 増田 眞一 | 上古志スキー | 1:44:47 |
少年 | 山田 肆郎 | 弘前中学 | 1:46:20 | ||
壮年 | 山田 克巳 | 青森林友 | 2:00:34 | ||
耐久(50km) | 但野 寛 | 札幌鉄道 | 4:20:18 | ||
リレー | 青森林友 | 3:19:27 | |||
アルペン | 滑降/成年 | 関 金三郎 | 志賀高原 | 4:48:00 | |
滑降/少年 | 兜山 登 | 鳥取 | 5:20:04 | ||
滑降/壮年 | 田中 義武 | 名鉄 | 7:25:08 | ||
滑降/女子 | 郷戸セツ子 | 妙高 | 2:58:02 | ||
回転/成年 | 関口 勇 | 北大若老 | 1:49:00 | ||
回転/少年 | 富井 匡 | 長野 | 1:59:08 | ||
回転/壮年 | 田中 義武 | 名鉄 | 2:36:06 | ||
複合/成年 | 関口 勇 | 北大若老 | 197.42 | ||
複合/少年 | 富井 匡 | 長野 | 196.97 | ||
複合/壮年 | 田中 義武 | 名鉄 | 200.00 |
第1回のアルペン競技が、滋賀県の伊吹山で開催された。行われた種目は、滑降、回転、複合(滑降と回転のタイムを得点に置き換えてポイントの高い順から順位がつけられる)の3種目が行われた。滑降で優勝した関金三郎は、選手引退後、志賀高原・発哺温泉にある「天狗の湯」で、2006年6月21日、その生涯を閉じるまで志賀高原に降る雪を見ながら過ごした。
少年で回転、複合を制した「富井 匡」は、後に「片桐 匡」としてSAJの副会長(就任期間:昭和61年~平成4年)を務め、また地元、長野県スキー連盟では昭和49年から平成5年まで会長としてスキー普及に尽力した。(2003年11月15日没)。
野沢温泉村にある「ハウス サンアントン」は、片桐の子息で元オリンピック選手の幹雄、その姉の美雪も72年札幌オリンピックに出場した選手。美雪は現在、SAJの競技副本部長、古川年正の妻として、同じ野沢温泉村で「ペンション シュネー」を営んでいる。
クロスカントリー、長距離の少年で優勝した山田肆郎は青森県スキー連盟の副会長、SAJ理事として後進の育成に尽力、1999年1月10日に逝去した。
(文中の敬称略)
アルペンの第1回大会が滋賀県伊吹山で行われ、成年で回転・新複合を制した関口勇の滑り(スキー年鑑第11号より)
正装で表彰式に出席する関口勇(左)と関金三郎(スキー年鑑第11号より)