2008/09/11

連載8 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった

1940年(昭和15年)
第18回全日本スキー選手権大会
会場:新潟県高田スキー場及び妙高山麓
 

競技名 種目 優勝 記録
ジャンプ 成年 菅野 駿一 小樽高商 55.00m/55.00m
少年 森 史郎 飯山中学 56.50m/55.00m
ノルディックコンバインド 成年 久慈 庫男 札幌鉄道 440.9
少年 大久保 正 札幌光星 417.6
クロスカントリー 長距離 成年 増田 眞一 上古志倶楽部 1:19:47
少年 山本 謙一 五所川原農 1:29:42
壮年 村上吉五郎 秋田林友 1:39:18
耐久 増田 眞一 上古志倶楽部 3:18:55
アルペン 大回転女子 平泉 のぶ 大館高女 3:50:04
新複合男子 若尾金之丞 明大 421
新複合女子 木元セツ子 小樽市立高女 349

当時は、全日本スキー選手権大会と「明治神宮国民体育大会スキー競技会」と兼ねて行われていたが、戦火の色濃くなった昭和15年、明治神宮国民体育大会スキー競技会では国民及び軍人の意識高揚のため海軍、陸軍の対抗戦をはじめ鉄道局対抗競争、営林局対抗競争、警防団対抗競争など「対抗戦」が数多く行われるようになった。そのため、全日本スキー選手権大会より盛り上がりを見せていたという。
全日本スキー選手権大会の方では、アルペンは、滑降と回転の複合を「新複合」という競技名で、1種目のみ実施している。女子は新複合の他に大回転が行われている。なぜ女子だけが大回転を行ったかについてはスキー年鑑に記述がなく不明。
新複合で優勝した若尾金之丞は、後に全日本学生スキー連盟の会長を務めた。(2006年7月4日没)

 

第18回大会で耐久、長距離の2種目を制した増田眞一(上古志)

第18回大会で耐久、長距離の2種目を制した増田眞一(上古志)。スキー年鑑では、「日本スキー史に残る不滅の金字塔を作った」と偉大な記録に大賛辞を送っている。(スキー年鑑第14号より)

 

第5回冬季冬季オリンピック(1940年)は戦争のため中止。

 

1941年(昭和16年)
第19回全日本スキー選手権大会
会場:北海道札幌及び小樽

 

競技名 種目 優勝 記録
ジャンプ 成年 伊黒 正次 日立製作所 56.0m/63.0m
少年 森 史郎 明大 49.0m/55.0m
ノルディックコンバインド 成年 徳橋 勝美 札幌商業 417.775
少年 大場 正巳 旭川商業 420.0
クロスカントリー 長距離 成年 落合 力松 明大 1:24:23
少年 佐藤 七郎 札幌逓信 1:34:14
壮年 村上吉五郎 秋田林友 1:45:17
耐久 桑原 富男 豊原スキー連盟 4:08:59
アルペン 男子滑降 若尾金之丞 明大 271.8
女子滑降 平泉 のぶ 大館高女 289.8
男子回転 近藤 寿夫 小樽鶴裳 184.2
女子回転 南 怜子 小樽市女 138.6
男子複合 若尾金之丞 明大 439
女子複合 平泉 のぶ 大館高女 484
女子大回転 木元セツ子 小樽鶴裳 2:01:6

「明治神宮国民体育大会スキー競技会」の大会出場選手は1143人に及び、そのうち陸軍軍人が186人、海軍軍人が16人だった。出場都道府県の中には、当時、日本の統治下にあった樺太(59人)、朝鮮(9人)、満州国(10人)も含まれている。
アルペンの若尾金之丞(明治大学)は前年に続いて新複合を連覇、女子新複合は滑降wp制した大館高女の平泉のぶが優勝した。

 

明治大学の若尾金之丞

第18回大会、第19回大会と新複合を制した明治大学の若尾金之丞。写真は第18大会での回転の滑り(スキー年鑑第14号より)

タイトル争いを演じていたトップ4

第19回大会で女子のタイトル争いを演じていたトップ4。写真左上・平泉のぶ、左下・木元セツ子、右上・鶴見敏子、右下・南 怜子の各選手。(スキー年鑑第15号より)

 

1942年(昭和17年)
第20回全日本スキー選手権大会
会場:青森県大鰐

 

競技名 種目 優勝 記録
ジャンプ 成年 小原 正巳 札幌鉄道 59.0m/65.0m
ノルディックコンバインド 成年 竹見 忠孝 日本大学 421.6
クロスカントリー 長距離 成年 山本 謙一 明治大学 1:19:52
少年 山田 九八 青森林友 1:23:22
壮年 増田 眞一 長岡スキー連盟 1:27:01
耐久 山田 盛衛 青森林友 3:35:08
アルペン 女子大回転 市岡香代子 小樽高女 4:35:04
新複合男子 橋本 茂生 早稲田大学 481

長距離の少年で14位だった戸舘福三郎は、後に青森県の中学校の校長となり、青森県スキー連盟では昭和54年~平成6年まで理事長、平成6年から副会長を務めていた。平成2年~平成6年にはSAJの理事に就任している。昨年、3月20日に逝去された。
「明治神宮国民体育大会スキー競技会」の団体競争「警防団府県対抗競争」の5位長野の2走、小賀坂広治は、1958年(昭和33年)に設立されたスキーメーカー、株式会社小賀坂スキー製作所の創業者である。会社設立前の1932年には、合板のクロスカントリー競技用スキーの開発に成功している。
(文中の敬称略)