連載9 記録に見る日本のスキー競技史
1923年、日本のスキー競技ははじまった
1943年(昭和18年)
第21回全日本スキー選手権大会
会場:栃木県日光
競技名 | 種目 | 優勝 | 記録 | |
---|---|---|---|---|
ジャンプ | 不明 | |||
ノルディックコンバインド | 星野 昇 | 明大 | 424.95 | |
クロスカントリー | 長距離 | 山本 謙一 | 明大 | 1:22:57 |
耐久 | 平野 文雄 | 三井内川 | 3:20:26 | |
アルペン | 女子大回転 | 南 怜子 | 小樽市女倶 | 4:58:8 |
男子滑降 | 笹川雄一郎 | 早大 | 289.0 | |
男子回転 | 片桐 匡 | 長野市倶楽部 | 149.6 | |
男子新複合 | 笹川雄一郎 | 早大 | 477 |
スキー年鑑にジャンプの記録がなく、中止と思われますが記述が一切ありません。もし、事情がわかる方がいましたらご一報ください。
全競技から組別が無くなり、「全日本選手権」のチャンピオンは各種目1人となった。
アルペンの新複合は、2月6日におこなわれた回転で片桐匡が優勝してタイトルを引き寄せたが、回転4位につけた笹川雄一郎が8日の滑降で優勝、同種目4位に終わった片桐を僅差で破り、タイトルを獲得した。
スキー年鑑は、戦争の影響から製作が厳しくなり、1943年から戦後の1950年まで合併号となっている。そのため第21回全日本選手権、戦後最初の第26回全日本選手権の写真は掲載されていない。
第22回大会(1944年)・第23回大会(1945年)・第24回大会(1946年)・第25回大会(1947年)は
第二次世界大戦のため中止
1948年(昭和23年)
第26回全日本スキー選手権大会
会場:長野県野沢温泉
競技名 | 種目 | 優勝 | 記録 | ||
---|---|---|---|---|---|
ジャンプ | 成年 | 浅木 文雄 | 北海道 | 54.5m/57.0m | |
少年 | 原 聡 | 北海道 | 52.0m/51.0m | ||
壮年 | 森 敏雄 | 長野 | 51.0m/53.5m | ||
ノルディックコンバインド | 成年 | 日景 信夫 | 秋田 | 436.5 | |
少年 | 川崎 | 学連 | 399.0 | ||
壮年 | 小林 | 新潟 | 393.85 | ||
クロスカントリー | 長距離 | 成年 | 落合 力松 | 北海道 | 1:16:16 |
少年 | 釣井 賢 | 東京 | 1:23:15 | ||
壮年 | 村井 | 北海道 | 1:26:13 | ||
耐久 | 井上 健二 | 北海道 | 3:21:29 | ||
アルペン | 男子新複合 | 猪谷 千春 | 群馬 | 424 | |
男子新複合・少年 | 笹川雄一郎 | 新潟 | 454 | ||
男子新複合・壮年 | 三浦 | 岩手 | 242 | ||
女子新複合 | 木谷 初子 | 北海道 | 215 |
戦後、初の大会は昭和23年3月11日~13日までの3日間、長野県野沢温泉村で行われた。
天才、猪谷千春の登場である。当時のスキー年鑑では、史上初の分解写真で猪谷の滑りを紹介している。それほど猪谷の出現は衝撃的だったようだ。当時の合宿には、猪谷の父親であり「日本のスキーヤー第1号」ともいうべき六合雄がコーチとして参加していた。
「成年」、「少年」、「壮年」の組別が復活している。スキー年鑑の記録には名字しか記されていないため、何名か名前が不明になっている。
(文中の敬称略)