総務

2013/06/06

80歳三浦雄一郎、世界最高峰に立つ
エベレスト登山の総括

2013年5月23日、三浦雄一郎、80歳にして世界最高峰であるエベレスト山頂に立った。

 

その後、C2からヘリコプターで降り、その二日後には飛行機で日本に帰るという慌ただしいスケジュールのなか、まるで浦島太郎になったような気持ちだ。多くの人々に祝福してもらい、数多くの応援のメッセージを日本についてから読みました。沢山のメディアからも注目していただき、その中で今回の成功の秘訣に関して聞かれる機会が多い。

 

今回のプロジェクトには最近のエベレスト登山には行われていない多くの新しい試みがあった。

 

ひとつは父がたてた「年寄り半日仕事」作戦である。これは昔から日本に伝わる言い回しのようであるが、僕は父の言葉で初めて知った。昔から日本の農家などでは年寄は、若い自分のときに比べて、半日仕事をして残りはのんびり過ごすということを実践していたとのこと、これを今回の遠征で実践した。トレッキングの日程、高度順化の日程、アタックの日程をすべてほぼ二分の一、半日刻みに当てはめてみた。すると一日の高度変化(移動標高差)がだいたい500㍍以内に収まることになる。

 

これは高度順応の生理学的にみてもとても理に適っており、実際今回のトレッキングからアタックまで高度障害がメンバー全員、まったくと言っていいほど出なく順調に標高5300㍍のベースキャンプに入ることができた。

 

もう一つの斬新な取り組みは、父の体力を考慮して、補助酸素を使用して仮想的に標高を下げたことである。過去の遠征ではまず高度順化を行った後、休養のため標高4200mにあるディンボチェという村に降りて休んだ。ある程度順応ができた身体を、一旦、酸素が濃い標高まで降りて、疲れをとってアタックに備えるのだ。しかし、この方法だと一旦降りた分の標高を再度、登り直すことで体力を使うのと、下の村に行くことによって風邪などを引いて体調を崩す可能性もある。それを最新式の酸素吸入器、酸素パルスドースシステムを使い、ベースキャンプにいながらにして血中酸素を高めた。これは酸素を自発的に吸うことによってその分の量の酸素が放出される。これだと酸素の消費量を低くしながらも十分に体には酸素を取り入れることができる。これらの作戦はすべてチームで新たに考えたことであった。

 

80歳の父のエベレスト山頂へ向かう為の体力をいかに温存するか。今回のプロジェクトチームはスペシャリストの集まりだ。エベレスト6度目の登頂となる倉岡裕之さんはこれまでの豊富なガイド経験から常に柔軟な戦略を組み立て父に最も適したロジスティックを考えてくれた。記録映像の為、カメラを担当してくれた平出和也さんは、彼自身も一流の登山家でありながら今回は完全にカメラマンとして裏方に徹し、類まれな想像力と登山技術もってつぶさに僕達の記録を客観的にとらえてくれた

 

日本初、国際山岳医として認定された大城和恵先生は循環器内科の先生でもあり、高所登山、登山全般のエキスパートだ。彼女は常に父の様子をモニターし助言をしてくれた。

 

エベレスト二度の登頂経験を持ち数々の遠征ロジスティックを考案した貫田宗男氏は僕達が快適にベースキャンプにて過ごせるように飛行機、ヘリコプターの手配からシェルパとの交渉、現地エージェントとの対応、荷物の輸送まであらゆる手配をこなしてくれた。僕達ミウラドルフィンズのスタッフである五十嵐和哉と三戸呂拓哉は遠征出発前からの準備、資材の整理、食事の手配、アタックへ向けての装備確認など細かく動いてくれた。

 

僕の兄である三浦雄大は通信技術士としてその実力を発揮し、僕達の隊の状況を映像や画像で日本へ伝え、現地ウェザーニュースに細かい情報を伝え天気の情報を得るだけではなく、フィードバックを行うことによって予報の正確性を高めた。

 

そしてそれを東京事務局で待機している姉の三浦恵美里が受け取り日本国内のみならず、世界に配信することによって、父の挑戦する姿が世界中に伝わり、多くのみなさまと共有しその応援が、僕たち後押しをしていただき、また世界の高齢者に勇気を与えたのではないだろうか…

 

今回は遠征同行記者として産経新聞の早坂氏も最初の準備の段階からチームとして動いてくれた。彼は記者という枠を超えて一登山員として雑用からカメラのアドバイスに至るまで幅広く活躍してくれた。そしてその報道も遠征日記のように多くの人々の共感を呼んだ。MIURAチームとして最大の強みは、三浦雄一郎を山頂に登らせるという共通意識(ミッション)を全員が強く持ち続け、軸がぶれることなく、それぞれの持ち場でその実力を発揮してくれたことにある。

 

そして何よりも、リーダーである父が醸し出す、チーム全体冗談好きで明るい雰囲気であったことが遠征隊を楽しく特別なものにした。こうした雰囲気は終始失われず、8000mのサウスコル、そしておそらく最高所である8500mにて手巻き寿司やお茶会を行った。ワクワクした発想と心に余裕をもってアタックを行ったおかげで最後まで冷静な判断をあらゆる局面で行えたのだと思う。

 

こうしてみると成功の秘訣は様々あるが、最後は父の諦めない気持ちと生命力だ。無理以上、力を使い切っても最後まで諦めず、生きるための基本的な「飲む、食う」を究極の条件下でも出来たことが今回のエベレストの成功につながったといえる。全てに対して柔軟な発想で工夫を重ね、登頂そして生還へと決定的に導いてくれたのは、ズバリ、父のエベレストへの強い気持ちと生命力であった。父は5年間かけて今回のプロジェクトの準備を行った。日々のトレーニング、いくつもの合宿や技術訓練さらに骨盤骨折を乗り越え、不整脈を克服する二度の手術。こうしたひとつひとつの強い想いの積み重ねが、エベレスト最後のローツェフェースを降り切るまでの軸たる意志になったのだと思う。

 

そしてこの思いを支えてくれたのは、父の挑戦に共感いただき応援してくれた多くの方々がいたからこそだと帰国して改めて実感した。

 

物心面でご支援してくださったスポンサーの皆様、そして支援隊という形で寄付をお送りただいだ皆さま…こうした方々は父の挑戦を応援して頂いただけでなく、無私の想いで父の無事と成功を祈り毎日を過ごしてくださり、心からの力をあのエベレストの山頂まで届けていただきました。日本に戻りそんな大勢のみなさまがいたことに僕は感動しています。

 

父は山頂で「最高の宝物を授かった」といいました。僕は特別な、大切な、決して見失ってはいけないもの、それを胸に教えていただきました。信じること、諦めないこと、明るくあり優しくあること、そして勇気と感謝の心。命懸けで父をサポートしてくれたチームのみなさま、シェルパのみなさま、そして応援してくださったみなさま、本当にありがとうございます!

 

2013年6月6日 三浦豪太

 

ローツェフェイスのアタック

ローツェフェイスのアタック

サウスコルへ向けて一歩一歩進む

サウスコルへ向けて一歩一歩進む

サウスコルで手巻き寿司を食べる雄一郎さんと豪太さん(左)

サウスコルで手巻き寿司を食べる雄一郎さんと豪太さん(左)